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母に誘われて庭先に出たところ、
私の知らない数日の間に、モッコウバラがまだ盛りではないものの、たくさん花をつけているのを知りました。
今年で10年目くらいになったでしょうか。
ほぼアーチ型を完成させて咲いてくれています。
モッコウバラを眺めながらお茶を飲んでいたら、あの事件の判決がTVから流れてきました。
以前、ここで書いた「死を願う者」の記事、約2年前になりますが、今、読み返してみても、私自身のこの量刑に関する感想というか意見は全く変わっていません。
親しい者、近しい人を失った、または奪われた遺族に対して一般論としてかけられる「一日も早く忘れて、悲しみから立ち直って下さい」という声は、
善意は汲み取れても、人を救う言葉にはならない場合もあるのだと改めて思います。
私が以前、個人的な経験をここで記事にしたとき、ある方に「どうぞ忘れないで、あなたの中で大切にしてあげて下さい」とコメントをいただきました。
この体験のみに限定すれば、あれ程、深い癒しを感じた言葉をいただいたことは、その瞬間までありませんでした。
ただ死者を祭るだけが弔うことではなく、死者が生きていたことを大切にし、そのことを自分の中で守って生きていく。
そういう生き方もあるんだよ、とその方に教えていただきました。
私には本村さんの9年間に及ぶあらゆるものとの闘いは、そのことだったように感じられます。
我が家の小さい庭にも、これからサザンクロスやジャスミンが咲き誇るようになるでしょう。
その頃、モッコウバラはもうシーズンを終わっているのでしょうけど。
生きるものを愛でるのと死んでいるものを大切にする、この2つに境界も違いもあるはずがありません。
2008.04.23 ▲
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