死を願う者

いつも、こんな拙いブログに来て下さってありがとう。
読んで下さったり、コメントを書き込んで下さったり。

私は意地っ張りなのも災いして、自分なりにブログを書くポリシーみたいなのは、
「素で書き過ぎないこと」というのが秘かにあったりします。

でも、今日はそのタブーを破ろうと思いました。
犯罪被害者のことを書こうと。
山口の「母子殺害事件」の件で。

せっかく来て下さった方に、つらい事を思い出させてしまったりご不快にさせてしまうかもしれません。

ごめんなさい。

「オレは犯人に言いたい。警察に捕まるなって。オレがこの木刀で撲殺してやるまで逃げて逃げまくれって。」
私の父の父、つまり祖父は父が殺された時、新聞記者の方たちにそう言い放っていたそうです。

人は誰でも死を免れません。
自分の死も。身内も、親友も、恋人も。
病気で命を落とす人もいれば、事故や災害で。あるいは交通事故で。
自ら命を絶つ以外は死ぬ方法など選べられる術もないのです。
どんな死も割り切れるものではないと思いますが、
人が人の手によって殺意を持って殺された場合、被害者側には百年経っても風化しきれない「負の気持ち」を背負うことになってしまいます。

身内を失った喪失感。
理不尽に奪われた未来に対する絶望感。
犯人に対する怒り。
そして犯人に対して極刑を望む気持ちと、その気持ちへの罪悪感や苦悩。
犯罪被害者にとって一番重く辛いのは、その気持ちの揺れだと思います。
極刑に処せられたとしても溜飲が下がるわけでもなく、また犯人とは言え他人の死を願うことの異様さ、恐ろしさ。
犯人に対して熾烈な感情を抱いていた祖父すらも、その気持ちのゆれの中で最後まで苦しんでいました。

このやり場のない気持、答えの出ない境遇に対して、どんなことをして償えるというのでしょう?
感情で死刑への流れになってはいけないというなら、感情とはそんなに軽いものなのでしょうか。

「時が経てば自然に忘れられる」
当時、そう慰めて下さる方も何人もいらしたようですが、祖父は「オレの息子なんだぞ!」と声を荒げて掴みかかったそうです。
確かに年月が過ぎれば毎日泣く事はないかもしれません。
でも。
私の母は、私より2倍は明るくて、5倍は賢く、10倍も前向きな人です。
そんな母でも庭先で草花の手入れをしている時や、ちょっと居間でお茶を飲んで一服している何でも無い時に、
突然涙目になっていたり、私達の手の届かない気持ちの奥深い所に行ってしまうことが、未だにあります。
もう30年以上経つというのに。

加害者に極刑を望むこと。
我が手で相手を殺すことが出来ない法治国家にいる被害者家族にとってそれは「復讐」というには生ぬるく、「夢」というにはあまりにも苦いものなのです。

山口の事件の犯人の元少年はキリスト教に入信しているそうです。
「イエス様は私を許してくれています」と面会人の一人に話していたのをTVで見ました。
それならば、彼は直にイエス様の元に許しを請いに行くべきでしょう。


山口の母子殺害事件、私は彼が死刑になるのを支持します。

2006/06/21(水) | untroubled living conditions | トラックバック(-) | コメント(8)

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たろじろ

『』

法が人の命を奪う事を禁じているならば、
その法自身が、加害者の命を責任を持って奪うべきだと思います。

加害者が自ら体験する事が、被害者の無念を想う唯一の方法ではないでしょうか。

全く同じ状況というのはあり得ないでしょう。しかし、命を奪われる状況を作り出せるのは、死刑しか無いのではないでしょう。

拙い表現で、すいません。

2006/06/22(木) 06:43:34 | URL | [ 編集]

美奈

『』

陽菜さん、こんばんは。
結論から言うと、私も死刑を宣告すべきだと思います。なぜなら、性犯罪者はその性癖から更正することが難しく、刑を終えて世間に出たとき、また同じことを繰り返すことが多いからです。特にこの少年の場合は、罪を犯した時点で、全く自分の罪の重さを感じていなかったことから、日本の今のいいかげんな更正プログラムでの更正などありえないと思います。法というものによって、裁かれるのであるのなら、その刑は死刑であって当然だと思います。

…とは言いながら、理屈をこねまわすようで何か自分でもおかしいのですが、人が人を裁くことは出来ない、とも思います。
罪を犯した人は、その罪の大なり小なりに関わらず、また、人間が作った法を犯したか、そうでないかに関わらず、あの世では、もれなく自分の犯した罪に自分自身が苦しむことになっているのですから。

大切な人を亡くされた方の悲しみは、他の誰にも計り知れないと思います。ただ想像して一緒に悲しみ、涙を流すことぐらいしかできません。思いやりのない、失礼な言い方かもしれませんが、一日も早くその悲しみから抜け出して、今を生きる意味を自分に問い、自分の人生を悔いのないものにしてくださいと、心から祈るばかりです。

2006/06/23(金) 21:53:11 | URL | [ 編集]

-

『管理人のみ閲覧できます』

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2006/06/24(土) 00:13:51 | | [ 編集]

陽菜

『>たろじろサマ』

こんばんは☆
死刑肯定派の人は、多分、被害にあって命を落とした者が犬死になってはならない、という観念が強いのだと思います。
命の重さを改めて世間の多くの人に考えてもらうためにも死刑の存在意義があるのではないかなぁと、個人的にはそう考えています。

ただ。
たろじろサマも重々、承知して下さってることですが、
犯罪被害者が、加害者全てに極刑を望むわけではないですよね。
今回の加害者の命に対する侮蔑的な考え、被害者に対しての非人道的な物言いは、彼の生い立ちや性格を考えても同情されたり許されたりするものから程遠いです。

コメントし辛い記事でしたのに、書き込み下さってありがとうございました。
感謝です。

2006/06/24(土) 00:19:08 | URL | [ 編集]

陽菜

『>美奈さま』

こんばんは☆
「暑気払い」やってみましたよ♪(^-^)

アメリカの性犯罪の更正プログラムはかなりの効果があがっています。
日本もそういうイイ所を米国から取り入れればいいですのにね。牛肉じゃなくて。
性犯罪でも、快楽主義の殺人でも、言葉によって人を追い詰めるハラスメントでも、罪の重さは変わらないように私には思えます。
つまり、全ての犯罪は相手のことなんか全く考えちゃいないとう点で同じではないでしょうか。

どれだけ深い罪を犯しても、更正の余地があれば許される・・・というのも私にはギモンです。
罪は罪。贖罪は贖罪。別物だとおもうのです。

>>一日も早くその悲しみから抜け出して・・・
母に言ってやらなきゃ、です(笑)
父を亡くしたのは私はまだ3才でしたから、人間が飛べないのと同じような感じで、自分に父親が居ないことは受け入れられたのですが。
姉や母、祖父(は、もう亡くなりましたが)は、喪失感に苦しんでいました。
祖父は「俺達がアイツのコトを懐かしんだり、思い出して泣いてやらなきゃ誰が他にするってんだ?」といっていましたが。
それも、また一理ある気がします。

重いテーマでしたのに心のこもった真摯なコメント、書いて下さってありがとうございました。

2006/06/24(土) 00:44:12 | URL | [ 編集]

陽菜

『>鍵コメさま』

私も正直、あまり死刑の是非について日常では考えたくありません。
トム・ハンクスの「グリーン・マイル」を観てたっぷり3日凹みましたもの。

できれば関わりたくないテーマの一つというのは間違いありません。
ただ、池田小学校の事件のような理不尽な命の奪われ方をされた方が、10年や20年なんかで消えることのない刻印のような痛みをずっと持ってらっしゃるというのも事実です。

死刑制度を考えるということは、どうすればそのような悲しい被害者が出ない世の中に近づけるのか考えることも、含まれているのではないでしょうか。
そうでなければ不毛なものだと思います。

鍵コメさんらしい、飾らない素直なコメント書いて下さったお気持ちが嬉しかったです。

2006/06/24(土) 00:59:06 | URL | [ 編集]

eMoon★

『』

この事件は、報道や各ワイドショーでも頻繁に取り上げていることもあり
関心を寄せています。

この件について。
わたしも死刑にすべきだとおもいます。

遺族の彼は、7年前から人生の時計が止まったままなのです。
新たな人生、踏み出すにしても踏み出せやしません。


自分が捕まってもいいから自分の手で殺り返したい、というきもち、
いたいほど理解できます。
それが肉親の情というものだとおもいます。

2006/06/25(日) 23:47:54 | URL | [ 編集]

陽菜

『>eMoon★さま』

こんばんは。

最近、立て続けに暗い事件が多くてワイドショーを見るのもためらってしまいますね。
それぞれ「人殺し」という結果は同じでも、そこに至る経緯や理由の違いがあって、何て人間って複雑なんだろうと思ってしまいます。

>>自分が捕まってもいいから自分の手で殺り返したい、というきもち、いたいほど理解できます。
うちのジイちゃんが聞いたら、泣いて喜びます。きっと。

怒りという感情はネガティブなものだし、無いにこした事はないのでしょうが。
ヘンに聞こえるかも知れませんが、私は晩年の祖父があれだけシャッカリと生きることに情熱を燃やしたのは、父のコトも一因だったと思います。
2度、倒れてカラダが不自由になっても、リハビリにガンガン取り組んだ祖父を「可哀そう」と思うか、「ファイトあるなぁ」と感心するのか。
「あー、ちきしょー。(仇が討てなくて)残念だなぁー(笑)」と大声で笑って逝った祖父の人生も、「復讐だけに生きた可哀そうな人」だけではないと、そう思います。

・・・確かに祖父のように肉親の情だけで動く人ばっかりだと、世の中、大変ですよね(笑)
今回のことも遺族の感情を汲みすべきだ、という意見と、それに流されるのはどうか、どいう意見とで分かれているのも、
世界がバランスをとろうとしている姿なのかな、と、ようやくですが思えるようになりました。

長々と返信してしまってゴメンなさい(汗)

祖父がピースして喜ぶようなコメント、ありがとうございました。
私も、久しぶりに祖父のことを思い出せて嬉しかったです。

2006/06/27(火) 01:25:00 | URL | [ 編集]

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